推し

バ先に推しがいる。

 

バリバリの体育会系で、要領良くて、大手に内定決まってる人。

家族に80万借金して遊び回ってる人。

この人以外のサボる人全員に冷たい店長が、仲良くできてる人。

シフトの代わりを探す連絡は丁寧で綺麗な文章の人。

そんな香水つけなさそうなのに、趣味のいいウッディ系の香りがする人。

全然人に興味なさそうな人。

縦社会が染み付いた挨拶を後輩の私にまでする人。

 

私より後に入ってきた女性に、恋バナまでしちゃってる人。

 

 

卒業してしまいますね、寂しい、一度飲みに行きませんか。

 

それすら言えないくらいの仲の人。

万事快調(オール・グリーンズ)

「そうだ、学校であれ、育てちゃおう!」🌿

 

帯ヤバすぎる。

本屋でこれを発見したのが一日で一番面白かったので、買った。

 

ひょんなことから大麻の種を手にした女子高校生は……というあらすじ。

 

いや、ひょんなことから大麻の種を手にする人生って何?

 

 

 

酒、タバコ、セックス、薬物、犯罪の全部盛り。アウトローを断罪するマトモな人間はここにはいない。

 

「ところで。発芽記念に、スタバでも行っとく?」

 

「九進法の女は黙れよ」

「指の数イジんな!」

 

THC。明るい未来のエネルギー。

ー『万事快調(オール・グリーンズ)』波木銅

 

 

一生言わない言葉しかなくてオモロい。ずっとパンチラインじゃん。

 

この小説多分ありえない、好きじゃない、悪趣味だと思う人もたくさんいると思う。

上の引用が刺さった人は万事快調の素質がある。

 

で多分、リタイヤせずに最後まで読めた人にはサイコーの結末が待ってる。

大爆笑して、その日一番面白かった記憶として胸に刻まれるでしょう。

実家消滅

最近実家がなくなった。

私と、妹の進学をもって親が離婚したからだ。

 

最初は悲しくなかった。

そんなに良い家でもなかった、親の仲は悪く、妹も母も癇癪を起こし毎日怒鳴り声が聞こえる、父も酒を飲んで帰ってきて会話もない、さらにたまに機嫌が悪い、そんな日は大抵暴言を呟いていて、物に当たる。けどたまに家族みたいなこともした。

 

よくある家族仲の良くない家庭という感じ。

 

家賃の割に景色が良かった。

瀬戸内海に繋がる、小さい海が見えた。朝焼けが綺麗だった。

夏から冬、のぼる太陽がだんだん横にずれていくのがわかる家だった。

人の暮らしも、労働も、自然も、全てが見える家だった。

 

毎日同じ時間に川重の従業員のための時報が聞こえた。

時報があってもなくても私は変わらない。

けれど帰省の時に懐かしく聞いた時報は、小学校の給食時間を思い起こしたし、慌ただしく家を出る毎日も。

 

もう聞こえない。もう見えない。

 

こうなって初めて、キッチンの床に置いてあったいいちこ1800mlパックも、リビングの無駄に大きい平机も、柱の身長記録も、壁の落書きも、床に伸びてた父親も、図面を書いていた母の背中も、全てが懐かしく、美しく思えた。

 

寂しいな。

 

理性の信奉者

まともな人ってこの世にいるんだろうか?「普通の人」って出会ったことある?

 

理性や社会規範は人間でいるために構築されたただの機能で、人間は本来もっと動物的なんだと思う。

個人⇆個人のとき、そこに社会はない。社会がないから社会規範も機能停止する。

もちろん、片方が規範を信奉していたらそんなことにはならない、停止ボタンに気付いてない人がいるから。

 

 

他者との関わり、社会規範を軸で社会を考える時、かなり層化できる気がする。おもしろそうだから今度暇な時図にしよう。

 

考えるのおもしろいけど、別にこんなの言語化しなくても良いんだろうな。

結局ただ"在る"という意義とかなんとかに落ち着いて、納得するんだろう。

考えるだけ無駄とは言わないけど、考えないでいることの重要性もあるはずだとうっすら思っている。

 

 

若きウェルテルの悩み

ウェルテルようやく読んだ。

 

人の悩みってなんでこんなに共有不可なんだろうな。この間あなたから聞いた悩みも、あなたにとっては取るに足らないことだったらどうしよう。と思った。

 

わかったふうにしているけど、たった今この瞬間も、目の前にいる人の思考は一つもわからなくて、わかることもできない。他人になれたらいいのにな〜

 

集団になれる、集団として見られる、社会は人間の集合体、人間はこんなに集っているのに一人だなと思う。わからなくても生きていけるんだろう。

 

 

全然ウェルテルの感想じゃないな。

てか読書メーターの感想がおもしろかった。

ウェルテルの気持ちが理解不能な人たくさんいるっぽかった。

読書感想文ってあんま良くない課題、もしかして採点するの好きだった先生もいたのかな。人の感想っておもしろい。

 

他人の価値観を取り入れる瞬間、自分との比較はしなくて、ただ救われる気持ちになる。

 

自分のまま自分じゃない人になれたらいいのにな、そういえばそれに近い体験が絵画鑑賞なのかなと前考えた。

視界も共有できないものだけど、絵ってその人の見てる世界の共有手段なんじゃないかな。

風景画ってつまんなかったけどそうじゃないかもって、作家の見えてた世界、明るくて柔らかい庭とか、この人はこう見えてたんだ、そう考えたら風景画ってめちゃくちゃわかりやすくて良い。

 

他人を知るよろこびなのか、他人になれたよろこびなのか、この間絵をそうやって見るって気づいた時、すごく嬉しかった。

 

やっぱりウェルテルの感想は言えないっぽい。

観劇したいな、ウェルテル。心情変化が舞台で観たい感じだった。